つづかない

また更新が途絶えてしまった。パソコンのせいにしてよいならば、起動がクソ遅くてパソコンの電源を入れる気にならない。しかし、日記のような長文は、パソコンのキーボードで打つ癖が染みついていて、スマホフリック入力があまりしっくりこない(と言いつつたまにするけど)。だから、日記を書こうとするとパソコンの電源を入れたくなる。上手くいかない循環である。

 

gmailをのぞいたら、他の施設の意味不明な研究のメールとか、勉強会のメールとか、日程調整のメールとか、去年の荷が重い出来事ベスト3に入る研修の続きメールとかいろいろきていた。たまたま重なったようだ。でも、大体みんな親切だ。私の不調を気遣って返信は遅くてもよいとか言ってくれる。私の周りの人は、大体いつも良識的でいい人だった。

 

9/9 試験、9/10 寝てしまう、9/11 覚えてない、9/12 覚えてないが多分掃除しすぎた日がある、9/13  近くにできたジムの体験予約をした、9/14 ジムの体験に行ったあと確か駅前まで出かけて化粧水を買ったり快眠のために枕の下見に行ったりした、9/15 覚えてない、9/16 前日母が買った「もものかんづめ/さくらももこ」を少し読んだ、9/17 覚えてないがそろそろ嫌な過ごし方、9/18 自室を大分片付けて大分捨てた、使いかけの古い化粧品系が多かった、9/19 予約してた1回目のジムへ行ったら結構大変だった、9/20はあした。

 

9/18 自室の片づけをしたら、いらないものばかりであった。一度しか使わなかった黒染めスプレーがあって、部屋は高校~大学前半くらいでとまっていたような感じ。そういえば先日母から、大学院時代はあなたはほとんど家にいなかったわよと言われた。院生時代は、多分夜遅くに寝て服をとっちらかすだけの部屋だったので、部屋自体にあまり手が加わっていなかったのだと思う。

 

過去に勉強したノートなどでてきて、ああ勉強していたんだという、感慨深さよりも驚きであった。覚えていない。なるほど、先日試験にでたこの単語はこのとき目にしていたのか、という驚きと発見。ノートに過去問の例題をみながら小論文を書いた形跡があって、今これをやる気にはならないなと心底思った。よくやってたなと。それから、院生時代半ば強制で大学でやっていたアルバイトの記録も出てきて、これもまた、よくやってたな、であった。毎回下級生の出席をチェックし、2つもってたグループの話し合いの経過を記し、院生らしい(かもしれない)データをとったその後を考えるようにとかいうアドバイスをしていたり、必修なのに欠席が続く下級生の心配などしていた。

 

土曜の午後まるごとそんなことに費やしたり、日曜は全然気乗りしないけど5000円とられる勉強会にでていた記録もでてきた。そうそう、あの頃は結構お金がかかるのに、こういう勉強会とか不本意な予定もあって忙しくなかなか居酒屋のアルバイトに行けず、本当にお金がなかった。学部生の頃は、渋谷や原宿をふらふらしては服をとっかえひっかえして、学科の子におしゃれだとか言われたりしていた時期もあったが、院生時代は殆んど同じ服を着て、電車に乗り、毎日大学に通っていた気がする。

 

どれもこれもいらないものばかりで、ほぼすべて捨ててしまっても構わない一方で、捨てたらこの部屋から一切ものがなくなりそうだった。それはそれで、私の大学時代までの時間が消えてしまう(或いは、捨てられるほど大したことがないという烙印を押してしまう)。しかし、私がこれまで過ごしてきた時間はなんて大したことがないのだろうと思った。それは、関りのあった周囲の人をも否定する考えかもしれないけれど、そんな綺麗ごとは言っていられないのである。薄っぺらい人生で、ここまできてしまった。このさき、どうしよう。これからさき、自分の人生を自分で引き受けていく自信がない、それを考え始めたら頭がもたげるようになり、身体が重たくなってしまった。

 

23時半過ぎた。もう遅いから寝よう。

起動が遅い

しらばく書いていなかった。試験前だったのもあり、優先順位は低め。試験はへろへろ。朝、眠剤が効いた頭と試験前の緊張感が混在したまま、ふらふら起きて、なんとか会場へ向かった。問題は、あんまりできなかったかな。出題者の意図を問われているような問題がちらほらあって、私はまた、他人の意図なんて知らねえよと思いながら、間違っているか合っているかさっぱりわからない番号を黒く塗りつぶしていた。あんまり勉強してないので、あんまりせいせいした感じもない。ただ今年の分終わっただけ。さようなら。

 

 

自分のことが自分でよくわからない。苦しい。苦しいか?よくわからない。実家の自室を片付けていたら、昔勉強したノートとか出てきて、確かに学問を勉強いていたもの、英訳一生懸命した跡、小論文の練習した跡、自己分析した跡。色々でてきた。あー勉強してたんだなとも思うけど、まったく中身のないことをしていたような気もする。私はなんて薄っぺらい人間なんだ、これから先の人生を自分でいきていける力量があるのか、それが不安になった。今はそれと少し距離を置いているだけ。わからない。

 

薬のせいか、毎日毎日眠い。

untitled

よくなった、と思うことも度々でてきた。喋ったり、掃除したり、ごはんたべたり、久しぶりにメイクしてでかけてみたり、できている。でも、他人のちょっとした強い言葉が気になったり、些細な音が気になったりするのはあるので、進んで戻ってという感じ。父親の生活音がうるさい。仕事のこと考えて、あーあ、と思ったりもする。無責任な今回の展開。でも、あのまま続けても、いけるところまで行って完全に動けなくなるのを待つだけみたいな感じだった気もする。行きつ戻りつする、波のようなものなのか。

 

金曜日に大学の友達からメールがきて、土曜日に有楽町でお茶した。道中、テキストを開いて読むことができた。これも良くなっている感じ、だ。とても久しぶりに会った友達だったけど、ゆっくり喋ったら無理なく話せた。自分を良く見せようとするところがない、まじめだ、私と同じ仕事をしている他の人のことをちょっと傲慢だと思ってしまったことがあるので私の話を聞いて安心した、と言われた。友達は、20代の紆余曲折を経て、一度離婚した人とまた再婚する予定なのだと言っていた。人間関係はいつもよくわからない。

 

やっぱりまだ上手く言葉を返せないなーと思う。少し良くなったと思ったけど、少し思い上がりだった気がする。一度連絡するようにと言われていたのだけれど、何て連絡しよう。なんて連絡すれば迷惑が少なくて済むか、と、一番考えている。既に大分迷惑なのだけれど。

untitled

つらい、と思うことは、あけてはいけないパンドラの箱だった。と、思う。とても単純なことなので言葉にしてもあまり有難みがないような感じだけれど。でも、私にとって、いきてることがつらい、あーつらい、つらい、つらい、と本気で思ってしまうことは、とってもいけないことだった。同時に、本気で思わないようにいつもどうにか距離を置いて過ごしてきたのだと思う。せっかく思わないように頑張ってきたのに、不意に思わされてしまったことには、少し怒っている。おかしなことかもしれないけど。

untitled

こだわらない。

 

何か一つする度、眠くなる。うとうと、寝てしまう。風通しがよく、ひあたりのいい実家で昼寝すると、あの日常から少し離れられるような気がして、不思議な気持ちになる。でも今日はリーゼ内服。弟の話を横で聞いていたら、仕事を思い出した。

 

いきてるだけで、存在するだけで、つかれる。人間生活、向いてない。

untitled

リフレックス内服1週間後くらいから、食欲増加、眠気あり。夕飯おなかいっぱい食べたのに、今もまた食べたくなっている。我慢。久しぶりにfacebookなんか開いてみたら、先生が登山に行った出来事を多分奥さんが投稿したのが、流れに流れて私のタイムラインにも掲載されていた。研修に行ったのは自己意思だが、去年研修に行って土日を潰してへんな自己開示をして自分が潰れてしまった私と、元気に登山している人と、この違いにいちいちへこむ。私はなんてエネルギーのないやつだろうと。人生を楽しめないやつだろう、と。(まあこれはしかたないんだけど。そういう性格だから)

 

夕方、駅近くのスーパーまで自転車で行った。自転車に乗るの、いつぶりだろう。角の度に慎重に左右確認をする自分がいた。昔は、こんなに慎重に乗っていたっけと思う。違ったと思う。学校へ行くとき、職場へ行くとき、無断駐輪していたスーパーの駐輪場は、有料駐輪場となっていた。かわったなあ。

 

帰り、小児科の前の大きな通りを自転車で走りながら、私はこの道を10代の頃、まだ制服を着ていた頃も通ったし、大学に入って無駄に毎日おしゃれしてた頃も通ったし、就職してから2年程の間も通ったなあと思った。どの時代も、「私は今こうやってこの道を通ったことを、何年先も同じ私で同じ気持ちで考えるのだろう」と思っていた。そして、実際考えている。それは、変わらない私を肯定するものではなくて、いつまでたってもきっと晴れ晴れしない気持ちでどこか他人事のような、変わらない自分しか思い描けないだろう、ということである。そうだ、制服の頃もあの道を通りながらよく思った。このことを思い出すと、どうにも悲しくなる。なんにもない土地に一人で立って、誰もいないところで一人でいて、泣くことも話すこともできず、ずっと何かを傍観している。何も変わらない。

 

ところで、amazonで注文したkiasmosのアルバムが届かない。在庫、どこかにあるんだろうか。

untitled

休職して約1週間。抗うつ薬眠剤の組み合わせで、眠れないという問題が大分改善された。一方で昼間も四六時中薄っすら眠いので、それもどうかと思い、レンドルミンを勝手になくした。そうしたら、薬の変更は眠りに対してきれいに反映されて、中途覚醒を繰り返し、へんな夢を見た。いつもの追いかけられる夢ではないし、直近見た一番最悪の夢(知人の死体が腐っていく夢)でもなかったけれど。しかし、まだ、焦って薬を減らす必要はないのかもしれない。今日はいつも通りのラインナップでいこうと思う。眠れない時の、あの嫌な感じを減らしたほうがよい。あの嫌な感じ、うまく言葉にできない。そのうち言葉にしたいと思う。

 

日中、家族がそれぞれ仕事に出かけていく。昼間、ぼんやりとリビングで転がっていた。身体が重い。動いてないからか。気持ちは時々ざわざわして、今日は2回頓服を使った。

 

急にざっと雨が降って、慌てて洗濯物を取り込んだ。空を見上げたら、お天気雨だった。今年はこんなことばかりだなあと思う。へんだ。これが普通になってしまうのが、へんだ。それから、やかんにお湯を沸かして麦茶を作った。しばらくして、洗濯物が乾いたのを確認して、日当たりのいい部屋で丁寧にたたんだ。弟のハンカチの隅と隅を合わせながら、もし弟の同僚の女の子が涙した時にこのハンカチを差し出すような場面があったら、なんかウケるなあと思った。ハンカチを常に携帯している「きちんと感」は、母の洗濯、姉(私)のたたみで成立してると思うとなんだか大したことないなとか考えた。どうでもいいのだけれど。

 

ずる休みかなあとか考える。この休みの代償は大きいのかもしれない。だけど、先週の月曜、私は1週間後も出勤してやっていられない気がしてならなかった。だからやっぱり仕方ないのかな。仕方ないと自分に思わせる作業、かもしれない。この休みの終わりに、何らかの成長をしていなければ、と、私は思っている気がする。この休みは、成長のための休みではないのに。休養なんだけど。自分の能力を低く低く低く、低く、見積もりながら、実はいつも目標を高く設定している。おかしな生き方だこと。